9月6日 3:08
今日は地震の日のことについて。
今年もあっという間に9月に入ってうらうらしながらも、いつものような日常を過ごしていました。
だけど、6日なりたての午前3:08にそれがひっくり返されてしまう事態に見舞われてしまいました。
平成30年北海道胆振東部地震の発生です。
わたしは札幌市内の某区にて暮らしています。今は幸い実家で家族で暮らしており、一人暮らしだったらって考えると恐怖でしかないです。
地震が起こったのは未明なので、大概の市民は眠っていたと思います。わたしもその一人でした。
最近はずっと何故か眠りが浅い状態が続いていました。そのせいなのか、iPhoneの警報アラームが鳴る数分、いや数十秒前に目を覚ましたのでした。
その時点で大きくはないものの、既に揺れは感じられていて、まだ終わりそうもない感じに「これちょっとヤバいやつか...」と、ゾワッとしたところで、大きな揺れへと変わったのと同時にiPhoneの大音量の警報が鳴り響きました。iPhoneが“地震です”って喋ったんだったけな...?とりあえずアラームがただごとではないことを物語っていました。
揺れる中、なんとか部屋のドアを開けて階下に降りて、家族で情報を得ようとしました。
が、テレビつかない、電気つかない。
ラジオ付きの手回しの懐中電灯で、何がどうなっちゃってるのか情報に耳をすませました。
その時は、とりあえず揺れがおさまってはいるものの津波が来るかもしれないとのことで、着替えを。
でも、頭は混乱して体はガクブルで、情けないことに何を着たらいいのかもわからないほどでした。日中ならもう服着てるけど、夜中なら私の場合、何着て逃げるとかそういう細かいことも決めておいたほうがいいなと感じました。
何とか着替え終わったところで、津波の心配はないとアナウンスされ、心底安堵しました。
本当は良くないらしいけど、慌てて姉家族の無事も確認するため電話してみると、無事がわかり一安心。しかしその間にも余震があったので早々に切ってとりあえず身構えることしかできない状態でした。
その後しばらくは最初の揺れに匹敵するほどの大きな揺れはなかったもののある種の興奮状態と恐怖で再び眠ることなどできませんでした。
外を覗いてみると当然街灯も消えているので、満天の星空が出現していました。
それで若干の余裕を心に取り戻し、一旦自室に戻りました。
スマホが充電したてでバッテリーが100%だったのはラッキーでした。割といつも電池減ったままで寝てしまうこともザラだったので。
Wi-Fiはもちろん繋がってないにしても、ネットが繋がってるのは大きかったです。そこで、震源地の詳細や自分とこの凡その震度を知りました。
一応震度4〜5といったところで、ここまで大きな地震は初めてでした。
そして苫東厚真火力発電所がほぼ震源地丸かぶりなことから停電は長期化を覚悟しました。
夜が明けて、照明がなくても動ける時間になると幾分かホッとしました。
東京にいる友達がLINEでブレーカーは落としたままにしておくことと、バスタブに水をためておくようにと教えてくれました。
幸い食料などはそこまで不自由ないと思われましたが、なんせ停電ですから、冷凍庫の解凍が進んでしまうことだけが気がかりでした。
あとは断水も免れていたので、ないのは電気だけと言うのは非常に幸運だったと思います。
しかし、北海道の中でも特に揺れがなかった地域ですら、苫東の影響で停電になってしまう事態。なんせ北海道全域で停電なんて今まで聞いたことありません。
ただ、利尻の友人の話では、揺れも停電もなかったようです。島独自で発電システムを持っているようです。
そういった例外はあっても、電気がないと電車も走れないし、道路の信号も真っ暗だし流通は当然滞りますから、早いとこ停電が終わることを願うばかりでした。が、苫東の復旧の目処は1週間ぐらいかかると聞いて、もうどうなっちゃうんだろうと不安しかなかったです。
ラジオの情報では、他の発電所の運転再開により昼頃には中央区の一部とか旭川あたりで電気が通ったとのこと。で、一回ブレーカーあげてみたけどダメでした。
しかし、その日の夕方のこと。暗くなる前にご飯を食べてしまおうと食べてる時に、向かいの家の玄関の電気が灯っているのを目にして、うちもブレーカーを上げてみると点いた!
これ本当に感動するものです。そして電気のありがたみをこの上なく感じるわけです。
だけど姉家族ではまだ復旧していないとのこと。同じ区ですら通電したとこしないとこがまばらな状態でした。
冷蔵庫の中もセーフで、本当に助かりました。
そして半日強ぶりにテレビで映像を見て愕然とするわけです。
もう同じ北海道民としては言葉にはできません。
今、自分の家族や友人が皆無傷で生きていられることに本当に感謝しています。
当事者になってみないとわからないことでした。
昨日まで、さっきまであったものや住む場所や命までも、もしかしたらその時を境になくなってしまうかもしれないなんて想像してもしきれるもんではないと実感しました。
今まで日本でも大きな震災や台風被害などたっくさんありました。
ニュースを見るたび、被災者の方々の辛さはどんなもんかと、大変なんてもんじゃないだろうと思っていました。
明日は我が身ってこともあるし気をつけたい。
だけど、いつもどこか対岸の火事だと思っていたと思います。わたしの住む場所でそんなことは起こるわけない、と根拠もなく日常が続いていくと思い込んでいました。
そんなことはなく起こる時は起こるんですね。
この地震の前日には夜通し、北海道には滅多に上陸しない台風が直撃して、過ぎ去ってくれたから今日はゆっくり寝られる〜!って思ってた人も多いはずです。そんなダブルパンチで疲労困憊です。
それでもわたしは家はあるし、断水もなかったし電気だって他より早く点いたしかなり恵まれていた方です。
家からなくなったものといえば牛乳ぐらいです。
昨日まで全然買えませんでした。
電気がなくて、乳が絞れなくて病気になったり死んじゃった牛だって少なからずいるんです。
スーパーで好きなもの買ったりできるのって当たり前じゃないんだなって思ったらもう、全部に感謝して生きるしかないです。
嘘くさい言葉も本当の気持ちです。
夜寝る前もまた大きな地震あったらやだなって少しの振動にも敏感になったり、自分の鼓動なのか地震なのかもわからないぐらいビビりです、今は笑。
どんなに忘れないでいようと心に決めていたって、きっと少しずつ薄れていってありがたいと思ったこともまた当たり前になってしまうだろうけど、とりあえずせめて思い出せるように書いておきました。
では、また!