覗いてごらん アラサー サブカル通信

ちょっとマニアックな映画や音楽などについてアラサー女の目線で自由に書いていきます。

海外の話⑨ バスでナンパ!

バスの中

その時乗ったバスの座席の形態が、前半分は横長の椅子で向かい合わせに、後ろ半分が進行方向を向いた二人掛けの椅子が並ぶといった、日本でも割とお馴染みの型でした。

 

わたしが座ったのは前方の長い方の椅子で、両隣に人がいる状態。

 

早いとこ、話しかけましょう!

 

と、左隣にいたダスティン・ホフマン(その時はそう思った記憶が鮮明にあります。なんなら本人なんじゃないかと思いました。けど、モチロン違うと思います笑。本当に似ていたのかも今となっては不明)のおじさまに話しかけてみました。

 

例の学校への行き方が書いてある紙を見せて、ここで降りたいのですが、わかりますか?

と訪ねてみました。

 

わたしも、さすがに、降りるバス停の近くに何があるかなどは見ていたので、「マクドナルドが近くにあるところなのですが…」というと、ダスティンおじさんは激しくうなずいてくれて、「大丈夫、近くなったら教えてあげる」的なことを言ってくれて、心からThank you〜でした。

 

そんな会話をダスティンおじさんとしていると、逆隣りからも話しかけられました。

 

しかも日本語で話しかけられたんだと思います!

 

オェ⁉︎って驚くと男性の若者でした。

 

片言ながら、全然会話はできる感じ。

 

「ボクはアメリカと沖縄のハーフでちょっと前まで日本に住んでいたことある、ナゴヤ(名古屋)」みたいなことを言っていました。

 

彼は自己紹介などもしてくれて、「名前はオサム(仮名)で22歳だよ〜」ってな感じでした。

 

オサム(仮名)が、なんとわたしの父と同じ名前だったので、ビックリして「お父さんと同じ名前だ〜」

 

というとオサムは「え〜、ちがうよ〜」

と言い出し、いやいやわたしが言うんだから間違いないっつーのとか思ったんで、

「や、わたしのお父さんの名前」というと

「あ、そうなの〜」とわかったんだかわかんないのかの返事でした。

 

オサムの最大の特徴は自分のことを「オサム」と呼ぶことで、わたしは終始笑いをこらえていました。

 

いや、顔は結構かっこいいのだけれど、なんせ、そのカタコトの日本語のせいでカワイイ系になっちゃうから、なんだかな〜って思っていました。

 

わたしの歳を聞いた時も「え〜、オサムと同じぐらいかと思った〜」ですって。

確かにどっちか言うと10代〜20代前半までは実年齢より上に見られることが多くて、日本人は童顔に見られるのに、異国の地でも老けて見られんのかい!と少々落胆したんですよ。でも時期が来たら、逆に若く見られることの方が多くなりましたけどね〜♡いや、あまり鵜呑みにはしないように心がけてはいますが。。

 

話が逸れましたけど、その後もオサムは喋り続けました。

 

本の学校名を聞かれて、「絶対知らないって」って言っても「絶対わかる」と言い張るので、言ってみたら「あー...、知ってるぅ」とワントーン低い声で答えていて、絶対知らんだろ!って心ん中で思いました笑。

 

その間にバスを見渡してみると、多くの乗客がわたしとオサムの方を見ていて、目が合ったおばちゃんには苦笑いまでされました。

 

げ〜、オサムのせいでなんかめっちゃ恥ずかしいんだけど〜...と早く降りたくなりました。

 

ただ一回だけオサムはダスティンおじさんに「彼女の降りるところはまだ?」などと英語で確かめていて、その姿は日本語を喋るソレとは全く違ってとってもクールでした。

 

オサムは確認するとまた喋り続けて、しまいには「オサム、アナタともっと喋りたい」と言い出した。

 

「えー、どうやって...?」と聞くと

 

「デンワで」

 

「でも、今わたしの携帯使えないし、ホストファミリーの家の電話はちょっと迷惑だと思うし」と濁しつつも事実を伝えましたが、オサムはなかなか諦めない様子でした。

 

で、ダスティンおじさんが「この辺かな⁉︎」って教えてくれて、例の"降りますのヒモ"を引っ張ってくれたのです。

 

あー、左手にSav・onというドラッグストアが見えたらねーオッケーオッケー!とヒモを引くタイミングを習得しました。

 

ダスティンおじさんに深くお礼をして、オサムともお別れをしました。

 

その後同じバスに二人と乗り合わせることはありませんでした。

 

今考えれば、オサムと友達になっておけば、いろいろよかったんじゃないか⁉︎とも思うんですけどね、いくら日本人の血が流れている青年とはいえ、ここは異国の地、アメリカ。何か怖い目に遭わないとも限らない、と最大限安全に重きを置いていたのでした。

 

しかし、やさしいダスティンおじさんのような人のおかげで、わたしは無事に家に着くことができたのも事実なわけです。

 

さて、翌日学校へ行ってみると、何だかザワついた様子。

 

何でも昨日迷子が続出したそうです。

 

少ないとは言えない数の生徒たちが迷って家に帰れなかったと...

 

わたしの友達もその一人だったし、中にはバスの中で寝てしまい、よくわからないとこまで行っちゃって、しまいには知らない男の家に付いて行って、男がシャワーを浴びている隙に逃げた、なんてハナシまで!!

 

てゆーか、アメリカ初日の帰りのバスで、寝ようと思う度胸はわたしには、ない笑。

 

などなど、引率の先生によれば、前代未聞の迷子の数だったみたいです。

 

と、日にちで覚えているのはこの日ぐらいまでで、その後の話は覚えていることを順不同で綴っていきます。

 

つづく。