海外の話⑨ バスでナンパ!
バスの中
その時乗ったバスの座席の形態が、前半分は横長の椅子で向かい合わせに、後ろ半分が進行方向を向いた二人掛けの椅子が並ぶといった、日本でも割とお馴染みの型でした。
わたしが座ったのは前方の長い方の椅子で、両隣に人がいる状態。
早いとこ、話しかけましょう!
と、左隣にいたダスティン・ホフマン似(その時はそう思った記憶が鮮明にあります。なんなら本人なんじゃないかと思いました。けど、モチロン違うと思います笑。本当に似ていたのかも今となっては不明)のおじさまに話しかけてみました。
例の学校への行き方が書いてある紙を見せて、ここで降りたいのですが、わかりますか?
と訪ねてみました。
わたしも、さすがに、降りるバス停の近くに何があるかなどは見ていたので、「マクドナルドが近くにあるところなのですが…」というと、ダスティンおじさんは激しくうなずいてくれて、「大丈夫、近くなったら教えてあげる」的なことを言ってくれて、心からThank you〜でした。
そんな会話をダスティンおじさんとしていると、逆隣りからも話しかけられました。
しかも日本語で話しかけられたんだと思います!
オェ⁉︎って驚くと男性の若者でした。
片言ながら、全然会話はできる感じ。
「ボクはアメリカと沖縄のハーフでちょっと前まで日本に住んでいたことある、ナゴヤ(名古屋)」みたいなことを言っていました。
彼は自己紹介などもしてくれて、「名前はオサム(仮名)で22歳だよ〜」ってな感じでした。
オサム(仮名)が、なんとわたしの父と同じ名前だったので、ビックリして「お父さんと同じ名前だ〜」
というとオサムは「え〜、ちがうよ〜」
と言い出し、いやいやわたしが言うんだから間違いないっつーのとか思ったんで、
「や、わたしのお父さんの名前」というと
「あ、そうなの〜」とわかったんだかわかんないのかの返事でした。
オサムの最大の特徴は自分のことを「オサム」と呼ぶことで、わたしは終始笑いをこらえていました。
いや、顔は結構かっこいいのだけれど、なんせ、そのカタコトの日本語のせいでカワイイ系になっちゃうから、なんだかな〜って思っていました。
わたしの歳を聞いた時も「え〜、オサムと同じぐらいかと思った〜」ですって。
確かにどっちか言うと10代〜20代前半までは実年齢より上に見られることが多くて、日本人は童顔に見られるのに、異国の地でも老けて見られんのかい!と少々落胆したんですよ。でも時期が来たら、逆に若く見られることの方が多くなりましたけどね〜♡いや、あまり鵜呑みにはしないように心がけてはいますが。。
話が逸れましたけど、その後もオサムは喋り続けました。
日本の学校名を聞かれて、「絶対知らないって」って言っても「絶対わかる」と言い張るので、言ってみたら「あー...、知ってるぅ」とワントーン低い声で答えていて、絶対知らんだろ!って心ん中で思いました笑。
その間にバスを見渡してみると、多くの乗客がわたしとオサムの方を見ていて、目が合ったおばちゃんには苦笑いまでされました。
げ〜、オサムのせいでなんかめっちゃ恥ずかしいんだけど〜...と早く降りたくなりました。
ただ一回だけオサムはダスティンおじさんに「彼女の降りるところはまだ?」などと英語で確かめていて、その姿は日本語を喋るソレとは全く違ってとってもクールでした。
オサムは確認するとまた喋り続けて、しまいには「オサム、アナタともっと喋りたい」と言い出した。
「えー、どうやって...?」と聞くと
「デンワで」
「でも、今わたしの携帯使えないし、ホストファミリーの家の電話はちょっと迷惑だと思うし」と濁しつつも事実を伝えましたが、オサムはなかなか諦めない様子でした。
で、ダスティンおじさんが「この辺かな⁉︎」って教えてくれて、例の"降りますのヒモ"を引っ張ってくれたのです。
あー、左手にSav・onというドラッグストアが見えたらねーオッケーオッケー!とヒモを引くタイミングを習得しました。
ダスティンおじさんに深くお礼をして、オサムともお別れをしました。
その後同じバスに二人と乗り合わせることはありませんでした。
今考えれば、オサムと友達になっておけば、いろいろよかったんじゃないか⁉︎とも思うんですけどね、いくら日本人の血が流れている青年とはいえ、ここは異国の地、アメリカ。何か怖い目に遭わないとも限らない、と最大限安全に重きを置いていたのでした。
しかし、やさしいダスティンおじさんのような人のおかげで、わたしは無事に家に着くことができたのも事実なわけです。
さて、翌日学校へ行ってみると、何だかザワついた様子。
何でも昨日迷子が続出したそうです。
少ないとは言えない数の生徒たちが迷って家に帰れなかったと...
わたしの友達もその一人だったし、中にはバスの中で寝てしまい、よくわからないとこまで行っちゃって、しまいには知らない男の家に付いて行って、男がシャワーを浴びている隙に逃げた、なんてハナシまで!!
てゆーか、アメリカ初日の帰りのバスで、寝ようと思う度胸はわたしには、ない笑。
などなど、引率の先生によれば、前代未聞の迷子の数だったみたいです。
と、日にちで覚えているのはこの日ぐらいまでで、その後の話は覚えていることを順不同で綴っていきます。
つづく。